愉快な経営者
タコつぼからの脱出 ~自分の価値観を手放す
2011年の東北震災以降、地震対策について議論され、「レジリエンス」という言葉が一般的に使われるようにはなりました。と、大手ゼネコンの部長を務めるOさんが静かに話しはじめた。
多くは「災害への適応力」とか「災害を受けても強靭に回復する力」とか、まだまだ受身的な概念で使われている場合が多いと感じています。
しかし、本来の「レジリエンス」という言葉の持つ意味は、もっと創造的なものであり、今までに経験したことがない環境への適応を通じて自分自身を進化させていくという、生命の本質にかかわる「創造的適応力」のことを指しているように思えてきた、と笑顔になっていく。
聴いていて、「創造的しなやかさ」という言葉が浮かんできた。
おもいがあればあるほど、意見がぶちあたる
現場で起こっている職場の会話環境に話題に話は移っていく・・。物事を進めて行く際に必ずそこに横たわっているものが「人間関係」。
そこにはそれぞれの立場や背景があり、上下関係の板挟みもある。価値観が違う人が集っている。
うまがあわない、めんどうなステークホルダーと仕事をしなければならなくなったとき。
おまえに言われたらやりたくない!
ズボシで指摘されるともっとやりたくない!
と、思ったり・・。
おまえのいう事なんか聞くか!
と、こっぴどくやられたことがある。
同じおもいをしているのに、なんでこっちを向いてくれないの?
おもいがあればあるほど、意見がぶちあたる。
自分の関わり方に何かが足らない。
こんなふうに思う時がしばしばあるんですよ。
懐に入ってしまう関係づくり
振返って、子供のころを思い出してみると・・・。
いじめてくる奴がいると、周囲は彼を避けたり、屈伏してしまう者もいた。
が、中には、いじめてくる奴と仲良くなったり、時には相手も変えてしまう関わり方をしている者もいた。何が違うのだろう?
そんなことを考えているときにある学者と話をしていて共感することがあった。
「懐に入ってしまう関係づくり」かなと・・・。
決して、正しい、間違いでけりをつけようとしない。
相手を○○な奴と決めつけない(レッテルをはらない)。相手に関心を持つ。理解しようと寄り添う。寄り添って「理解する」と「認める」は違いますから・・。
「理解する」とは 相手の言動の背景・文化的価値観・物事の捉え方考え方を理解するのであって、認めるものではないのです。
面倒な奴と思えても、思いが合致していれば、その相手の懐に入り込む。
具体的に言うと
「真の未来」が自分に肚おちしていれば、自分のやりたいことをいったん手放す。
「手放す」とは、自分の価値観をいったん横において、
興味関心ある人の手伝いをして関係づくりをする。
そこで、視座・視点をつかむ。たこつぼからの脱出だ。
それをつくっていくのは一人ではできない。徹底的に議論するし、感情も飛び交う場になる。しかも、そこは安心安全であることが絶対条件。安心安全がないと命取りになりかねない。企業内でイノベーションを起こそうとして、社内で危険を感じた人ならではの話だ。
相手とのバリアを築いているのは自分。
バリアをつくらない、バリアを取り除くために自分とどう向き合うか?
思いが合致していれば、いったん自分の価値観を横において、興味関心のある人の手伝いをする。
そこで、視座・視点をつかみ、価値観を進化させる。
懐に入ってしまう関係づくりだ。
多くは「災害への適応力」とか「災害を受けても強靭に回復する力」とか、まだまだ受身的な概念で使われている場合が多いと感じています。
しかし、本来の「レジリエンス」という言葉の持つ意味は、もっと創造的なものであり、今までに経験したことがない環境への適応を通じて自分自身を進化させていくという、生命の本質にかかわる「創造的適応力」のことを指しているように思えてきた、と笑顔になっていく。
聴いていて、「創造的しなやかさ」という言葉が浮かんできた。
おもいがあればあるほど、意見がぶちあたる
現場で起こっている職場の会話環境に話題に話は移っていく・・。物事を進めて行く際に必ずそこに横たわっているものが「人間関係」。
そこにはそれぞれの立場や背景があり、上下関係の板挟みもある。価値観が違う人が集っている。
うまがあわない、めんどうなステークホルダーと仕事をしなければならなくなったとき。
おまえに言われたらやりたくない!
ズボシで指摘されるともっとやりたくない!
と、思ったり・・。
おまえのいう事なんか聞くか!
と、こっぴどくやられたことがある。
同じおもいをしているのに、なんでこっちを向いてくれないの?
おもいがあればあるほど、意見がぶちあたる。
自分の関わり方に何かが足らない。
こんなふうに思う時がしばしばあるんですよ。
懐に入ってしまう関係づくり
振返って、子供のころを思い出してみると・・・。
いじめてくる奴がいると、周囲は彼を避けたり、屈伏してしまう者もいた。
が、中には、いじめてくる奴と仲良くなったり、時には相手も変えてしまう関わり方をしている者もいた。何が違うのだろう?
そんなことを考えているときにある学者と話をしていて共感することがあった。
「懐に入ってしまう関係づくり」かなと・・・。
決して、正しい、間違いでけりをつけようとしない。
相手を○○な奴と決めつけない(レッテルをはらない)。相手に関心を持つ。理解しようと寄り添う。寄り添って「理解する」と「認める」は違いますから・・。
「理解する」とは 相手の言動の背景・文化的価値観・物事の捉え方考え方を理解するのであって、認めるものではないのです。
面倒な奴と思えても、思いが合致していれば、その相手の懐に入り込む。
具体的に言うと
「真の未来」が自分に肚おちしていれば、自分のやりたいことをいったん手放す。
「手放す」とは、自分の価値観をいったん横において、
興味関心ある人の手伝いをして関係づくりをする。
そこで、視座・視点をつかむ。たこつぼからの脱出だ。
それをつくっていくのは一人ではできない。徹底的に議論するし、感情も飛び交う場になる。しかも、そこは安心安全であることが絶対条件。安心安全がないと命取りになりかねない。企業内でイノベーションを起こそうとして、社内で危険を感じた人ならではの話だ。
相手とのバリアを築いているのは自分。
バリアをつくらない、バリアを取り除くために自分とどう向き合うか?
思いが合致していれば、いったん自分の価値観を横において、興味関心のある人の手伝いをする。
そこで、視座・視点をつかみ、価値観を進化させる。
懐に入ってしまう関係づくりだ。
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